望郷


本日(2023年12月27日)の日経朝刊一面の社説「春秋」に
作家 伊集院静さん(今年11月逝去)の故郷に対してのエピソードが紹介されていた。

年末年始の帰省がテーマの内容だったが、
何気に読み進めていたら不覚にも涙してしまった。
年を取ると涙もろくなるのは人の常だが、
新聞の社説で泣いてしまったのは初めてだ。

年末私も妻と娘を連れて、年老いた父が一人暮らす実家に帰る。
たまたま昨夜、帰省日程を遠方にいる娘と電話で相談していたので、
その「春秋」の文面にこころ震わされたというわけだ。

その理由を「春秋」から引用させていただくと
「自分をきちんと見つけられる土地に出逢えたら、そこで生きていきなさい」
という伊集院さんが故郷から東京へ出るときの母上の言葉だ。
強い母上だったのだろう。

伊集院さんは著作に「故郷は黙ってそこにある」と書いていて、
自身はめったに故郷には帰らなかったらしい。
故郷を捨てたわけではないだろうが、
母上の言葉を胸に秘めながら、望郷の念はあったはずだ。

「故郷を捨てる」という表現は、かなり強い意志表示だが、
それだけ故郷が持つ引力は強いとも「春秋」はいう。

「帰省」と「故郷に帰る」はもちろん違うが
帰省のたびに故郷に帰ることを想う人も多いであろう。

帰省の時帰るだけでいい。
早く帰りたい。
定年退職したら帰りたい。
今は帰りたくない。
帰りたくても帰れない。
もう二度と帰らない。。

人さまざまであろう。
私はどうだろうか?自問自答する。
望郷の念はあるし、もちろん一人で暮らす高齢の父も心配だが、
今帰るわけにはいかない、といったところか。。

年の瀬に故郷を思うこころは
揺れ動くのである。